【アルバム】
その地域の、予測できない天候について、マーク・トウェインはかつて言った。「もし貴方が、このニュー・イングランドの天気がお好きでないのなら、数分待ってみてください。」Bee Geesの経歴には、少しそのようなところがある。ニュー・イングランドの空のように変化していったのだ。60年代のヴォーカル・グループ、シンガー・ソングライター、ディスコの神様など、ある意味、あたかも多くの経歴を実際に持っていたように。 そして彼らは、リズム&ブルース、ポップ・バラード、ロックン・ロール、カントリー、他すべてのものに独自の印を刻んだ楽曲たちを作曲し、録音していった。結局、彼らはこの半世紀、インターナショナル・ヒット・メーカーであった。そのヒット曲たちがここにある。 “Spicks and Sepcks”がオーストラリアのチャートのトップを賑わしていた時でさえ、若かりしGibb兄弟たちはイギリスに帰国しようとしていた。 その後直ちに“New York Mining Disaster 1941”がイギリスでの最初のヒットとなり、以降、イギリスでの2枚目のシングル“To Love Somebody”(元々、オーティス・レディングのために書かれ、後にアニマルズやジャニス・ジョップリン他によってカバーされた)と続く。 “Massachusetts”が太平洋を渡って、アメリカでの最初のヒットとなり、“Melody Fair”が太平洋を渡って、日本で1位を獲得した。マイルドでセミ・アコースティックな曲で知られていたバンドは、その後、“How Deep Is Your Love”、“Stayin’Alive”、“Too Much Heaven”の連続ヒットで、信じがたいほどのディスコの帝王となった。 この地球上のあらゆるポップ・バンドがBee Geesの曲をカバーしている時代に見えるにもかかわらず、我々にとっては、これらの曲の、ウクレレ・プレーヤー達によるアレンジは初めてのことだ。好都合なことに、ポップ・バラードからジャズまでのすべてを、ハワイアン・レゲエからウクレレ・ディスコ対決(これは特筆すべきもの)まで、それぞれの奏者が独自のスタイルを持っていた。Bee Geesを永遠のものとする甘いメロディーは、当然すべての曲に息づいている。 スタジオでの最後のセッションを終えて、CDジャケット撮影のためフォトグラファーが到着した頃、ハワイは、強風と土砂降りの雨、仕事の遂行が不可能なほどの強い嵐に見舞われていた。しかしながら、我々には、少し待てば天気が変わることが分かっていた。そして当然 、そうなったのだ。 次の機会まで、アロハ。 |