【プロフィール】

レゲエ ハワイアン スタイル
byタイガー・エスペリ

 ハワイのアイランド・ミュージックは、島の美しさとそこに住む人々について歌っている。昔のミュージシャン達が広めていったものだ。ハワイが州になってツーリストが訪れはじめ、ミュージシャン達は注目されていった。ハワイのツーリストにとって、アイランド・ミュージックはメインのアトラクションだったのだ。島の美しさとハワイアンのアロハ・スピリットが、詩の中で表現されていたからだ。しかし、ハワイアン達は本当はそのなかでもがき苦しんでいた。ハワイが近代化されていくなかで独自の文化が序々に薄れていく、そんな悲しさや辛さをハワイの美しいメロディの中に封じ込めようとしていたのだ。こんなもがきがあったから、ハワイアンがレゲエの音楽を受け入れることは簡単だった。特にボブ・マーリーは。
 レゲエが初めてハワイに辿り着いた70年代前半、そこには私達の音楽に欠けていた力強い主張があった。レゲエのリズム、ベースライン、特に詩はハワイアンの身体になじみ、心にも染渡ってきた。若いハワイのミュージシャン達はジャマイカの文化の落ち込みや辛さを聞いて、自分達の状況に気付いてきた。ボブ・マーリーが築きあげてきたレゲエミュージックは、ハワイアンと同じ体験を表現していた。だからレゲエを自分達の音楽として受け入れはじめたのだ。
 様々なスタイルの音楽がハワイにやってきたが、 ボブ・マーリーや彼らの音楽だけがハワイのナイトクラブ・シーンやファミリーパーティーに入り込み、アイランド・ミュージックの一部になった。グラス・ルーツのハワイアンミュージシャン達がこれを次のステップに持っていき、自分達の音楽としてジャワイアンと呼び出した。そしてそれはハワイアンの苦しみを歌い、ほとんどの人々に受け入れられていった。一部の人達、特に年輩の人々には受け入れられなかったが……。彼らはハワイが近代化することを、これからのハワイのためと仕方なく受け入れようとしていたからだ。とはいえ、新しいムーブメントは訪れはじめていた。ハワイの島と人々のスピリッツは、レゲエを通して人々に伝わっていった。そしてレゲエはほぼ15年間流行っていた。
 80年代のはじまりになると、再びハワイアンとしてのアイデンティティを意識しはじめた。ハワイのオーシャン・カヌー、ホクレアはハワイのルーツを探しながら大平洋をセーリングしていた。ハワイの人々は自分達の文化がすでになくなりつつあることを認識した。ボブのレゲエ音楽は島の美しさと人々のなかで、欠けていたアイデンティティを認識するための革命的なひと粒のエッセンスだったのだ。
 ハワイの文化を伝えるために協力してくれたアーティストとスタッフの方々、本当にどうもありがとう。
 Mahalo nui………Tiger Espere.


Tiger "Kikailiula" Espere(タイガー・エスペリ)

CDジャケットでウクレレを持ち波を見つめるのは……

サーファーの世界でレジェンドと呼ばれる伝説の男、タイガー・エスペリ。
'46年ハワイ生まれ。'76年、自分のルーツでもあるポリネシアへ古代のカヌーを再現させた"Hokule'a"号で航海。天文航法だけで見事に成し遂げたその航海は世界中に感動を伝える。太平洋戦争も終わり、時を経てハワイはアメリカの州へと変わるが、ハワイ王国の末裔達でもあるポリネシア系の人々にとって、どんどん進む米国化の中で忘れ去ろうとしていた自分達の文化(歌、踊り、入れ墨、漁、他)を見詰め直す大きなきっかけとなる航海であった。現在、オアフ島在住。