【アーティストプロフィール】

■CHICKENSHACK
1985年、ジャズのサックス・プレーヤーとしては既に中心的存在であった土岐英史、関西のロックシーンから出て、ロックは勿論R&B、ソウル、とファンキーでブルージーなギターを弾かせたら右に出る者はいない山岸潤史が、キーボードに続木徹、ベースにデレク・ジャクソン、ドラムスに三浦晃嗣と結成。日本のソウル&ジャズ・フュージョン界をリードした、スーパー・ユニット。後に、ベースにルーファス&チャカカーンのボビー・ワトソンが加入、さらにドラムにマービン・ベーカーが三浦晃嗣に代わって加入その後、13キャツのドラム、タカこと沼沢尚が加入、アダルト・コンテンポラリーなバンドとしては、まさに類を見ないスーパーユニットとなる。シャイライツやウオーネル・ジョーンズ、13CATSを初めミュージシャンとして、幅広い仲間達が参加しているのも特徴だ。なお、「ADLIB」誌のベスト・フュージョン・アルバムにも選ばれている。

■BERNARD ARCADIO
ポールモーリア・グランド・オーケストラのアレンジを担当、また後半はポールモーリア・グランド・オーケストラのアレンジャー兼ピアニストとして日本ツアーに来てその素晴らしいピアノを聴かれた方も多いと想う。メルダックより3枚のオリジナル・アルバムを発表。彼の作品は、確かにポールモーリアからも評価されたが、作品内容的には、南仏出身の色が濃く出たロマンティックなものが多いのも確かだ。今回収められている曲は、雑誌ニューヨーカーに連載されていたアーウィン・ショウの短編から、そのタイトルを取ってアルバムにした、「夏服を着た女たち」から2曲をピック・アップ。南仏出身のベルナールが感じたニューヨークはロマンティックでなかなか素敵だ。

■13CATS
リーダーでキーボーディストのキャット・グレイはコンファンクシャン、ナラダ・マイケル・ウオルデン、ジョージ・デューク等の仕事に参加、ザ・ウイスパーズのツアーに3年間参加後プリンス、シーラ・Eのバンドに2年間在籍PURPLE RAIN,ROMANCE IN1600 ツアーに参加、その間にドラムの沼沢尚と知り合う。
パーカッションのカール・ペラーゾはジョージ・サンタナ、モンゴ・サンタマリア、チト・プエンテ等トップクラスのラテン・バンドに参加。シーラ・E、プリンスのPURPLE RAIN,IN ROMANCE IN 1600ツアーに参加した時キャット・グレイと出会い13CATSを結成。TAKAこと沼沢尚は86年チャカ・カーンのツアー、ボビー・ウーマックのツアー等に参加ロスアンジェルスでキャット・グレイと出会い13CATS結成に参加する。
彼等の音楽には、あらゆる音楽要素が詰め込まれ、それが彼等の最も得意とする超ド級ファンクと合わさる事により、13CATS独自の音楽性を作り出していると言える。そして、あくまで頑固にバンド・ユニットとしての音を追求しようとする姿勢。メンバー個々のキャラクターを強く出しながらも全員のグルーヴによるバンド・サウンドの素晴らしいまとまりを見せている事も大きな特徴である。レコーディングにシーケンサーなど一切使用されていないのも、そういった独自のグルーヴを確実に表現する為であり、80年代後半、バンドらしいバンドサウンドを失っている全米ダンス・ミュージック・シーンが、彼等に注目したのもこのへんにあるわけである。ファンクにインテリジェンスを加味した13CATSの素晴らしさは、サウンドこそ異なるが、70年代突如現れたあのスーパーグループ“アース・ウィンド&ファイヤー”が与えた衝撃を思い起こさせる。

■ACOUSTIC CLUB
リーダーでギタリストの宮野弘紀は81年にマイルス・デービスのプロデューサー、テオ・マセロのプロデュースで、当時新人としては異例のニューヨーク録音でデビュー、アール・クルーとのデュオ盤リリース後は、多くのトップ・ミュージシャンとセッションを重ね、オリジナル・アルバムの制作をしている中で、ヴァイオリンの中西俊博、フルートの赤木りえ、パーカッションの八尋知洋と知り合う、一緒に活動しているベースの早川哲也を加え86年アコースティック・クラブを結成。紅一点キューバ音楽をベースに情熱的なアドリブを吹く赤木りえ、81年クインシー・ジョーンズ来日公演で共演し、ヴァイオリンでアドリブをとり、彼に「日本で最高のミュージシャンだ」と言わせた中西俊博、少年時代をスペインのカナリア諸島で過ごし日本人には無い感性のパーカッションをプレイする、今や多くのトップ・ミュージシャンから引っ張りダコの八尋知洋、数多くのセッションに参加し、独特のなめらかで、切れの良いリズムは、サウンドの要として多くのミュージシャンから信頼を受けている早川哲也。この5人でスタートしたアコースティッククラブは、アコースティックによるジャズ・フュージョンの世界の素晴らしさを広めていった。もともとアコースティッククラブというのは、アコースティック・インストルメンツで参加という意味合いもあり、その後ピアノにフェビアン・レザ・パネが参加、ゲストにバイブのゲーリー・バートンも参加したりした。

■NEWYORK STRING QUARTET
ニューヨーク・ストリング・クアルテットは、1983年に結成され、アメリカ東部を中心に広く活躍してきた。メンバーは、エレン・ジュウエット、ハイディ・イエニー、ホリー・B・モリス、クリス・イエニーの4人の女性達。第一ヴァイオリンのエレンは6才からヴァイオリンを始め、79年〜83年にかけてノース・カロライナ大学で音楽を専攻、大学主催のコンクールで1位を獲得している。第2ヴァイオリンのハイディは、ボストンのニューイングランド音楽院で学士号、修士号を取得。ヴィオラのホリーは、ボストン大学で修士号を獲得した後マサチューセッツ大学でヴァイオリンとヴィオラの教鞭をとっている。チェロのクリスは8才からチェロを学び、ボストンのニューイングランド音楽院で修士号を得ている。いずれも大学出身の才能豊かな女性プレイヤーたちだ。N.Y.S.Q.としてはグループ活動の多くは、クラッシク作品や、現代音楽作品をコンサートで演奏することだ。今回は、作曲家として有名なロバート・オルドリッジ、ジャズ・ピアニストとしても有名な、フレッド・ハーシュの共同プロデュース、ピアノは勿論フレッド・ハーシュ、ギターにニューヨークで活躍している川崎僚、ベースにスティーブ・ラスピーニヤ、ドラムスにジェフ・ハーシュフィーリド等が参加している。曲目はいずれもニューヨークにちなんだ名曲ばかり。それも、1920〜30年代のアメリカの良き時代をしのばせるものばかり。

■石田長生
1952年大阪で生まれ10代の頃より関西のロック、ジャズシーンで活躍後1975年単身渡米。メンフィスのソウル・ミュージシャンと交流。帰国後、山岸潤史らと共に“ソー・バッド・レビュー”を結成。日本のソウル、ロックシーンに大きな影響を与えた。その後“GAS”“ザ・ヴォイス&リズム”などバンド活動をする。1989年チャーとアコースティック・デュオ“BAHO”を結成。1992年ソロ・デビューし、メルダックより7枚のソロ・アルバムを発表。1996年から活動の中心を東京とする。2003年阪神タイガースの球団公認応援歌「嵐は西から」の作詞、作曲・プロデュースを手がける。2003年秋には、清水興、中村岳とともに活動する“トレスアミーゴス”として、ニューアルバム発表、TV・CMにトレスアミーゴスとして出演。“BAHO”も活動中。

■山岸潤史
1953年6月生まれ。1972年永井“ホトケ”隆、塩次伸ニ、松本照夫等と関西屈指のブルース・バンド「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」を結成。1975年には石田長生をはじめとして総勢8名の大所帯ソウルバンド「ソー・バッド・レビュー」で活動。85年には、土岐英史等と「チキンシャック」を結成、この頃から元ルーファスのボビー・ワトソンとも交流を深める。その後ミュージカル“Mama I Want To Singモサウンド・トラック盤への参加を経て、88年にはボビー・ワトソン、ボビー・ウオマック、シュギー・オーティス、デイヴィッド・T・ウオーカーらが参加したソロアルバム“My Pleasure モをリリース。その経緯からデイヴィッド・T・ウオーカー、ジェイムズ・ギャドソン、清水興、続木徹の5人によるR&Bバンド「バンド・オブ・プレジャー」を結成する。95年には、活動の拠点をニューオーリンズに移し、ワイルド・マグノリアスに参加。2002年には、ニューオーリンズの権威ある音楽誌オフビートが主催する音楽アワードにて「ベスト・ギタリスト・オブ・ジ・イヤー」を授賞。現在、ジャムバンド「Papa Grows Funk」や、ジョニー・ヴィダコヴィッチ、ジョージ・ポーター・ジュニアとのトリオバンド「ザ・トリオ」をはじめ多くのセッションに参加。ギタリスト、コンポーザーとして確固たる評価を得て活躍中。

■幾見雅博
静岡県富士宮市出身、中学時代チェロを学び、高校に入ってエレキギターにのめり込む。大学でジャズ研に入部、グラント・グリーンにインパクトを受けた。その頃シャープ$フラッツにオーディションで合格4年間在籍する。いきなり日本ジャズメン人気投票で5位!その後、渡辺香津美と出会い意気投合して“2GUITARS”というバンドを作り5年間続けた。25才頃には、スタジオ・ミュージシャンとして売れっ子で1日に5セッションもこなす多忙さだった。その後CM作家に転進。年間163本というCMを作曲し、記録を作った。自分自身のCDも制作したが、現在は、色々なアーティストのプロデュースを手掛けている。
メルダックでの自身のCDは、フレットレス・ギターを用いた、なんとも言えない心地好いアルバムだ。

■タイロン 橋本
1971年ニッポン放送主催の第一回全国フォーク音楽祭にて、2000余グループの中から第一位のフォーク大賞授賞。1974年細野晴臣率いる“Tin Pan Alleyモに参加。
1975年単身アメリカ西海岸に渡り、黒人音楽の洗礼を受ける。1978年日本初のサルサ・バンド“Orquesta Del Solモに参加し、以後1987年9月1日の脱退まで在籍。Y.M.O.の1st.アルバムに高中正義等と参加。脱退後、自身のレコーディングの為渡米。1988年1月10日1st,Album メMoments Of Loveモ全米、全英、日本(メルダック)で同時発売、4月シアトルで行われた“Samurai Soulモという名のライブは大好評となりシアトル・タイムス等の6誌の紙面を飾った。帰国後NHK衛星第一“熱視線”、TV朝日系“トウナイト”でも、特集される。1989年2nd AlbumメIllusion In The Rainモリリース、1991年3rd AlbumメSlow Dancingモリリース。1992年よりプロデュース活動も始めMATSDA EUNOS等CMを手掛け、1994年カメリアダイヤモンド、TVーCFソングを制作、第41回カンヌ国際広告映画祭にて、自作曲CM“ナショナル・ビューティートワレ”が銅賞となる。現在まで関ったCMは凡そ600余り。歌唱、作編曲、演奏、ナレーション、また出演までもするマルチ・アーティスト。

■土岐英史
神戸出身、大阪音楽大学サックス科卒、中学時代クラリネットとサックスを始める。
高校入学後、16才でプロ・デビュー、春、夏、冬休みには自由が丘、新宿のジャズ・ライブ・ハウスに出演多くのミュージシャンとセッションを重ねる。
‘70年、鈴木勲グループ、宮間利之とニューハード(メイン・ソリスト)‘72年、日野 正クインテット。’73年川崎 クインテット。‘74年、土岐英史カルテット(渡辺香津美、井野信義、スチーブ・ジャクソン)結成、第一回新宿ジャズ賞授賞、’75年ファースト・アルバム“TOKI モセカンド・アルバム“LOVERMAN モ発表、‘78年、ニューヨークにてアルバム・レコーディング、‘79年松岡直也とウィシングのメンバーとしてスイス・モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演、ブラジルのミュージシャン達と“RIOSOM モ結成。‘85年山岸等と“CHICKENSHACK モ結成、翌年アルバムリリース、‘90年ブラジルのヴォーカリスト、レイラ・マリアのレコーディングにプロデューサーとして、リオデジャネイロに招かれる。パリのライブハウス「NEW MORNING」の10周年ライブにカルテットで出演する。その後自らのグループで各地のライブハウスに出演する傍ら大阪音楽大学講師なども務める。